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'''毎日新聞'''(まいにちしんぶん)は[[日本]]の[[新聞]]の一つ。発行部数は公称393万部。通称は「変態新聞」。主張は、反日・反米・親韓・親中。支持政党は[[民主党]]。
 
 
[[毎日新聞社]]が発行している。かつては[[朝日新聞]]と共に2強に数えられていたが、その後の拡販競争と経営危機で遅れをとり、現在では[[讀賣新聞]]、[[朝日新聞]]に大きく水を開けられている。(この2紙と毎日をあわせて三大紙と呼ばれる)。
 
  
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[[新聞販売店]]の愛称は「'''毎日ニュースポート'''」であるが、近年は余り呼称される機会が少ない。
 
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[[1943年]]紙名を『毎日新聞』に統一。名実共に全国紙となった。<br>(なお、『東京日日新聞』の名前は[[1946年]]、毎日系の新興夕刊紙として一時復活していた。この新『東京日日新聞』は[[1956年]]に休刊しており、現存しない。)
 
[[1943年]]紙名を『毎日新聞』に統一。名実共に全国紙となった。<br>(なお、『東京日日新聞』の名前は[[1946年]]、毎日系の新興夕刊紙として一時復活していた。この新『東京日日新聞』は[[1956年]]に休刊しており、現存しない。)
 
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=== 新聞内でよく用いられる表現 ===
 
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① 「政府は何もやっていない」       → 自分たち好みの行動を取っていない
 
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⑯ 「反発は必至」            → 早く抗議してください
 
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==紙面・論調==
 
==紙面・論調==
 
右派から左派的と言われる事があるが、保守的な論調が顔を覗かせる時もある。これは、昔から社内に派閥があり、様々な考えを持った記者を抱えていることが影響していると言われている。また、無理に論調を統一しようという雰囲気に乏しいことは、多様な見解を掲載できるという意味でプラスに働いているともいえよう。<br/>
 
右派から左派的と言われる事があるが、保守的な論調が顔を覗かせる時もある。これは、昔から社内に派閥があり、様々な考えを持った記者を抱えていることが影響していると言われている。また、無理に論調を統一しようという雰囲気に乏しいことは、多様な見解を掲載できるという意味でプラスに働いているともいえよう。<br/>
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日本政府は品位を持って分担金の負担義務を果たし、制度改革にも建設的に関与すべきだ。
 
日本政府は品位を持って分担金の負担義務を果たし、制度改革にも建設的に関与すべきだ。
 
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==発行所==
 
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*毎日新聞東京本社 東京都千代田区一ツ橋1-1-1
 
*毎日新聞東京本社 東京都千代田区一ツ橋1-1-1
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*[http://www.sponichi.co.jp/osaka/ スポーツニッポン大阪(スポニチアネックス大阪)]
 
*[http://www.sponichi.co.jp/osaka/ スポーツニッポン大阪(スポニチアネックス大阪)]
 
===その他===
 
===その他===
*[http://andesfolklore.hp.infoseek.co.jp/intisol/hyakunin/hanketul.htm  百人斬り訴訟一審東京地裁判決文(inti-solのページ)]
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2018年2月14日 (水) 04:58時点における版

毎日新聞(まいにちしんぶん)は日本新聞の一つ。発行部数は公称393万部。 新聞販売店の愛称は「毎日ニュースポート」であるが、近年は余り呼称される機会が少ない。

略史

  • 1872年東京日日新聞』、東京浅草の日報社から創刊。
  • 1875年 『東京日日新聞』、新聞の個別配達実施。
  • 1876年 日報社、『中外物価新報』の印刷発行を三井物産から請け負う。
  • 1882年 『日本立憲政党新聞』創刊。(1885年、『大阪日報』と改題。さらに1888年、『大阪毎日新聞』と改題)
  • 1906年 大阪毎日新聞社、東京の『電報新聞』を買収、同紙を『毎日電報』に改題して東京進出を果たす。
  • 1911年 大阪毎日新聞社は日報社を合併。(『東京日日新聞』と『大阪毎日新聞』の題号はそれぞれ変更せず。)
          大毎発行の『毎日電報』を『東京日日新聞』に吸収させる。(東京日日は地紋の桜模様や「余録」欄等を継承)
  • 1936年 『東京日日新聞』が『時事新報』を合同。
  • 1943年 東西で異なっていた題号を『毎日新聞』とする。
  • 1951年 名古屋の中部支社を中部本社に昇格。名古屋での新聞の発行を再開。
  • 1959年 札幌に北海道支社を新設。北海道でも新聞の発行を開始。
  • 1965年 西部本社、北九州市門司区から現在の小倉北区の『毎日西部会館』に移転
  • 1966年 東京本社、有楽町から現在の竹橋(パレスサイドビルディング)に移転。
  • 1967年 6月15日、西部本社セット版地区の地方版を2ページにする(地方版ワイド化のはしり)。
  • 1971年 3月12日、西部本社で輪転機八台を損傷する火災が発生する。
  • 1972年 沖縄返還協定密約をめぐる「外務省機密漏洩事件」(いわゆる「西山事件」)発生。
  • 1976年 「記者の目」欄開始。(その後記者の目(テレビ版)5社ニュースなどで放送された)
  • 1977年 負債を整理する旧社(株式会社毎日)と、通常の業務を行う新社(株式会社毎日新聞社)とに分離する「新旧分離」方式で会社を再建。登記上の本店を大阪から東京に移転。
  • 1985年 新旧両社が合併し会社再建計画終結。
  • 1992年 大阪本社、堂島から現在の西梅田に移転。
  • 2002年 創刊130周年を迎える。
  • 2003年 中部本社が名古屋駅前のビル建て替え(トヨタ自動車と共同)のため、名古屋市中区正木の日本経済新聞名古屋支社の旧社屋ビルに仮移転。

全国紙への道

『東京日日新聞』は1872年条野伝平西田伝助落合幾次郎が創刊した東京最初の日刊紙。当初は浅草茅町(現在の浅草橋駅近辺)の条野の居宅から発刊したが、2年後銀座に社屋を建てて進出。雑報入りの「新聞錦絵」が東京土産として話題を呼んだ。
1873年岸田吟香が入社し、平易な口語体の雑報欄が受け大衆紙として定着するも、1874年入社と共に主筆に就任した福地源一郎が社説欄を創設してから、紙面を一新。政府擁護の論陣を張る御用新聞となり、自由民権派の政論新聞と対抗した。桜痴(福地源一郎)の社説、 吟香の雑報、それに成島柳北の雑録が、 この新聞の三大名物と謳われた。

しかし、1880年頃から政府批判の高まりとともに、御用新聞批判も強まる。そして1888年、社長交代をきっかけに論調が中立路線に転換して大幅に部数を伸ばすが、1891年に長州藩閥の機関紙化してしまい、元の木阿弥となる。その後、伊藤博文井上馨三井財閥の支援を受けるが、1904年には一転して三菱財閥が買収。加藤高明が社長に就任するが経営不振は打開されず、1911年『大阪毎日新聞』に買収される。

その『大阪毎日新聞』は明治初期には政治色が強かったため経営上振るわなかったが、1889年から穏和な論調に転換、広告収入の増加もあって『大阪朝日新聞』(現『朝日新聞』)と並ぶ関西の有力紙となっていた。

さて、その後の新体制は第一次世界大戦の勃発を他紙に先駆けて報道、ロシア革命の報道やレーニンの会見でも注目を集める。この頃、シベリア出兵には慎重論をとり、国内問題では米騒動などの社会問題も取り上げ、普通選挙運動にも賛成の立場をとったが、同様の論調をとる東西『朝日新聞』と覇権争いを全国的に繰り広げた。こうした動きは結果的に両社の発展につながったと言える。

業績を回復した『東京日日新聞』は、大正期には東京五大新聞(報知時事國民東京朝日・東京日日)の一角に数えられ、関東大震災も大毎のバックでこれを乗り切った。震災報道では朝日陣営の後手に回ったが、報道そのものは東京日日の方が評価が高かったとされる。この後、東都新聞界は大阪資本の朝日・東京日日の二強体制となり、1929年には『國民新聞』主筆の徳富蘇峰が移籍。1936年には『時事新報』を合同した。1939年東京・有楽町に完成した新社屋には当時東京でも珍しいプラネタリウム「東日天文館」が設置され、壁面には電光ニュースがまたたいた。(なお、この天文館は1951年、ラジオ東京(現在のTBS)のスタジオに転用された。)

1943年紙名を『毎日新聞』に統一。名実共に全国紙となった。
(なお、『東京日日新聞』の名前は1946年、毎日系の新興夕刊紙として一時復活していた。この新『東京日日新聞』は1956年に休刊しており、現存しない。)

発行所

印刷工場

対象地域

  • 東京本社版 東北、関東、甲信越、静岡県
  • 大阪本社版 近畿、三重県伊賀・熊野地方、北陸、中国(山口県、島根県石見地方除く)、四国
  • 西部本社版 九州(沖縄県含む)、山口県、島根県石見地方
  • 中部本社版 東海(静岡県、三重県伊賀・熊野地方除く)
  • 北海道支社 北海道

関連紙

ここまでは毎日新聞社が直接発行している新聞・雑誌である

関連項目

毎日新聞社の事業

毎日新聞関連テレビ番組

その他

関連・兄弟会社

関連放送事業者

  • 東京放送(TBS) - 放送事業が民間に開放される動きを察知した毎日新聞社は、いち早く民放ラジオ局開設に向けて動き出した。結局電通読売新聞社朝日新聞社との合弁となりラジオ東京(JOKR)が設立されたが、同社設立までの間積極的に動いていたのは毎日系だけだった。このため開局当初から関係が深く、出資比率がほぼ同じであったはずの新聞各社よりも実際は結びつきが強かった。
    1961年以降、新聞出身者の同社常勤役員は毎日系だけとなる。1973年12月には出資新聞各社の合意に基づき新聞資本の統一が行われることとなり、1974年5月までに読売新聞社や朝日新聞社から株式を購入し、筆頭株主になったものの、直後に毎日新聞社自体の経営が悪化。
    TBSは毎日新聞社が筆頭株主になる事で経営に介入される事を警戒。しかし毎日新聞社は経営体質改善のため、TBS株の売却益で累積損失の圧縮を図る事を決意。
    こうした両者の思惑が一致して、1977年度中に毎日新聞社はTBSの持株の大部分を毎日放送他に売却して資本関係を薄めたが、一方で歴代社長を同社非常勤役員に派遣。友好関係は維持して現在に至っている。
  • 毎日放送(MBS) - 大阪地区でも、毎日新聞社が阪急電鉄日本電気と提携し、新日本放送(NJB)を設立。名古屋の中部日本放送(CBC)と共に民放第一号の名乗りを上げたが、実際に開局に尽力したのは毎日本社ではなく、毎日新聞を依願退職して同局に移籍した高橋信三(専務・社長・会長を歴任)であったといわれる。このため従来から独自色が強く、現在毎日新聞は同社の大株主上位10位に名を列ねていない(2004年3月31日現在)。元々筆頭株主だったが、TBS株式売却と同時期にやはり外部に大量放出。毎日放送側の意向が強かったと言われる。
    在阪局で同じく新聞と共通の名前を持つ朝日放送讀賣テレビ放送とは新聞社の関係度合いが異なる。
  • アール・ケー・ビー毎日放送(RKB) - 福岡地区も毎日新聞社と新日本製鐵(当時八幡製鉄)、西日本鉄道などが中心となり、ラジオ九州(RKB)を設立。1958年西部毎日テレビジョン放送(当時の八幡市に所在。未開局)を合併し、現在の商号に変更。この局も毎日新聞というよりは毎日出身者である金子秀三(専務・社長・会長を歴任)の影響力が大きかった。毎日新聞・MBS・TBSのいずれとも関係が深く、現在も毎日新聞は同局第2位の大株主(7.74%、2004年3月31日現在)。

上記三社は毎日新聞社が公表する「友好会社」である。グループ会社ではなく、立場は対等であり、代表者同士が相互に社外役員に就任している。

  • ラジオ福島(RFC) - 第4位の大株主(10.00%、2004年3月31日現在)。

上記は毎日新聞の関連会社である。
以下は出資先や報道協力会社等に該当する局である。

紙齢について

日本最古の日刊新聞」と言われることがあるが、1870年(明治3年)横浜で創刊された『横浜毎日新聞』とは全くの無関係である。
それでも「最古の歴史」と呼ばれるのは、前身の『東京日日新聞』(1872年2月創刊)に由来しているからである。同じく「最古の歴史」を標榜する『報知新聞』(1872年6月創刊)や『読売新聞』(1877年創刊)よりも古いとされるが、『東京日日新聞』の名前自体は1943年に一度途絶えており、また1946年傍系紙として復活して『毎日新聞』とは別新聞となっていた時期もあるため、この「最古の歴史」には疑問の声がある。

外部リンク

毎日新聞関連

その他