漫画評論

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漫画評論(まんがひょうろん)とは、漫画(マンガ)を対象とする評論である。他に漫画批評漫画学漫画表現論漫画研究などがあるが、この項目で述べる。日本では漫画は出版物の相当数を占めるが、文学評論に比して漫画評論は圧倒的に少ない。


歴史[編集]

日本で漫画自体を批評の対象にすることは、貸本漫画の世界で劇画が興隆した頃からであろうとされている。たとえば白土三平忍者武芸帳(1959-1962)を筆頭に貸本漫画の性の描写・残酷描写などが問題化し、有害図書として主に新聞赤旗やPTAによって相次いで批判されたことがある。このとき、劇画の中に表現されているとされた思想を擁護する形での反論が相次ぎ、両者の間で論争が行われた。

その後、白土三平の『カムイ伝』を掲載するために発刊された漫画雑誌『ガロ』では意欲的・実験的な作品が現れ、そこに様々な論評が加えられるようになった。特に、フランス文学者の天沢退二郎などがつげ義春の『ねじ式』(1968)を詳細に論じて「芸術」とするなどして、漫画が批評の対象足りえることを世間に印象付けた。この時代の漫画評論家としては石子順造、やや時代が遅れて石子順(前述の石子順造とは別人)などがあげられる。また哲学者で『思想の科学』を主宰した鶴見俊輔も漫画を評論に取り上げたことで有名である。

1970年代の漫画市場の拡大とともに漫画愛好家たちは同人誌での創作活動を活発化させることになるが、そうした同人誌を拠点にした批評活動もまた盛んになり、多くの批評が同人誌の中で流通した。その中からは例えば村上知彦のようにマスメディアで執筆するようになる批評家も現れた。また「世界最大の同人誌即売会」とされるコミックマーケットの代表を長らく務めた米澤嘉博も漫画史研究家として業績を残している。こうした同人誌系批評を商業ベースに乗せる試みも行われ、1977年には雑誌『だっくす』(後に『ぱふ』と改名)が創刊されている。ここで作家の橋本治が連載した少女漫画論は『花咲く乙女たちのキンピラゴボウ』と題されて出版され、恐らくは日本で最も売れた漫画評論となった。

1980年代になると文学者で批評家の四方田犬彦が日本の漫画を記号論的に解析して、ひとつの流れを作る(その集成が『漫画原論』1994)。漫画の実作者の夏目房之介もこの時期はこうした記号論的漫画論で評論を行った。(その後、夏目は商業漫画論、文化論、社会論など漫画論の間口を広げることに注力している。)

この他、評論家の呉智英や、元漫画家のいしかわじゅん、漫画編集者・原作者・批評家の大塚英志などが漫画批評を行っている。少女漫画の評論としては書籍編集者の藤本由香里などがいる。NHK『BSマンガ夜話』では、上記の呉、いしかわ、夏目などが漫画時評を行っている。

また、相原コージ竹熊健太郎の『サルでも描けるまんが教室』はギャグ漫画で漫画批評を行った異色の作品ともされている。

日本においてはこれまで膨大な漫画が出版されてきたにも関わらず、データベースの不備が著しく、過去の作品を目にする事自体に困難が伴う。このために日本マンガ学会が2001年に設立され、データベースの整備など、評論の土台を固める作業に取り組んでいる。


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